私が試して良かった気持ちを前向きにする方法①
このブログを始めて3カ月が経ちました。
せっかく「前向きになれるブログ」というブログ名を付けたので、
私が試して良かった「気持ちを前向きにする方法」
下記8つを紹介していきたいと思います。
❶ とにかく無理やりにでも「前向き」を意識する
❷ ネットサーフィンで自分と同じ境遇の人の記事を読む(前向き記事限定)
❸ 0歳の娘を抱っこしながらとことん娘に話かける
❹ 筋トレをする
❺ ジョギングをする
❻ 掃除をする
❼ ブログを書く(世の中に気持ちを発信する)
❽ 山に登る
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❶ とにかく無理やりにでも「前向き」を意識する
1つ目はとにかく無理やりでもよいから「前向き」を心の中で意識をする事。
ネガティブ(後ろ向き)な感情に襲われる事は人間誰しもあることだと思いますが、私の場合、転職で失敗して会社を退職してからしばらくの間、
「もう40歳で再就職なんてできるのだろうか…」
「再就職出来たとしてもまたうまくいかず転職を繰り返してしまうのではないか…」「人生もうこのまま転落していってしまうのではないか…」など、
打ち寄せる波のように定期的にネガティブな気持ちが襲ってきました。
でもある時、そのネガティブ感情と戦おうと意識をしました。後ろを向いても何も自分にプラスにならないし時間の無駄だと思う様にしました。でもそう思う様にしてもネガティブ感情は容赦なく襲ってきますよね…
でもでも無理やり「前向き」を意識しました。
例えば
「もう40歳で再就職なんてできるのだろうか」→「まだまだ40歳!絶対出来る!!」
「また転職を繰り返してしまうのではないか」→「繰り返してもいいじゃないか、また見つければ、きっと自分に合った会社は必ずある!!」
「このまま人生転落していってしまうのでないか」→「転落なんてしない、登ればいいじゃないか!私の人生は私が決める!!この先は最高の人生が待っている!!」
など、とにかくネガティブを打ち消して無理やり前向きに転換する。根拠がなくても、滅茶苦茶でも良いから無理やりに前向きな気持ちを念じる事をとにかく意識しました。否定ではなく公定、暗い気持ちは明るく、後ろではなく前、前、前、前です。心の中で前を向くのは自分の自由だし、自分しか前向きにはできないと心に決めて。
とにかく意味のないネガティブは打ち消す事です。バカで良いから前向きがプラスになるんだと…
こう思う様にしてから私の場合だいぶ気持ちが軽くなりました。これからやっていけると思えました。
今日8つ全部紹介しようと思いましたが、時間がなくなってしまったので❷つ目以降は次回の記事で紹介したいと思います。
このブログがうつになってしまったり、後ろ向きになってしまう私と同じ傾向の人にとって少しでもお役に立てる事、そして私自信も一緒に前向きな人生を歩んでいける様にと思います!!
いよいよド緊張の入社日!
私は今年40歳になり意を決して長く働いた会社を転職しましたが、ブラック企業に入社してしまい再び転職、次の会社ではパワハラに遭い、うつになり、またまた転職。
人生転落したかと思いましたが、このたび再就職ができて、長い休みを頂き、いよいよ先日入社日を迎えました。
もう転職を重ねる事は家族の為にも許されないので、今回は相当な覚悟で試用期間をまずは乗り切って行こうと思っています。
2度の転職で最初が肝心だと実感したのと、もう失敗はできないプレッシャーからか、入社日はド緊張でした。
幸せな事に働く条件は決して悪くないので、1日1日を大切に、とにかく元気に挨拶だけはしっかりと、相手の気持ちを大切に、入ってくれて本当に良かったと思ってもらえるように、仕事をきっちりこなしていこうと思います。
40歳になり、後ろは向かず前向きになる事の大切さを改めて感じています。
読者になって頂いた皆様、ありがとうございます。
今後もブログを続けていこうと思います!
核兵器禁止条約に参加できない日本。情けないでしょ(怒)
転職先への入社まで、まだ少し時間があるので、ここで40歳の1人の人間として、叫んでおきたいと思います。
平日、家に居る時間が長いとワイドショーを見て、日本の事、世界の事を考えさせられますが、やはり北朝鮮の問題は不安でならないでいます。
そしてその中でも、日本が核兵器禁止条約に参加出来なかった事に情けなく、怒りを覚えます。
アメリカとの同盟、世界情勢を見て難しい問題なのは良く解ります。
でも、世界の中で唯一戦争で被爆した国である日本、東北地震で原発事故を起こし「核の恐ろしさ」を改めて目の当たりにした日本が何故、どうして参加しない??
世界平和に向けて「核の恐ろしさ」を世界に発信する説得力を持っている唯一の国、私達日本がどうして参加しない??
情けないでしょ?!
おかしいでしょ?!
発信するチャンスでしょ?!
戦争はいけないって、目には目を、歯には歯をなんて絶対にダメだって、憎しみは憎しみを生むだけだって…
未来の子供達に大人達は純粋な心で、嘘の無い心で愛を持って伝えないといけないでしょ💢
戦争をしては駄目だと。何があっても人を殺してはいけないと。そして弱い人をいじめてはいけないと。
トランプは北朝鮮に核実験を許さない!と金委員長を非難した。
いやいや、人の事言う前にまずはアメリカが核を捨てるべきでしょ!アメリカに核保有するなって言う資格はないでしょ?!
子供達に説明できるの??矛盾してるでしょ??
阿部総理大臣!!
そんなアメリカと日本は100パーセント共にあるって…
情けないでしょ?!
もっと日本が大切にしてきた心、人間が持つ愛を世界に発信しましょうよ!
何があっても戦争には参加しません!
例え日本が北朝鮮に狙われても絶対に私達は戦争をしません!
それが強くて美しい日本でしょ!!
それがぶれないって事でしょ!
世界に示そうよ!
お願いしますよ!!頑張ろうよ大人達!
40歳で転職…内定頂きました!!(涙)
ハローワークでみつけた企業へ応募して、書類が通過し、面接を受け、条件付きで採用の連絡を頂いた私。
次はその条件の詳細や給料などの待遇面を提示してもらうための面談の日時が決まり、いよいよその日を迎えるのでした。
面接してから向こうからの連絡対応の鈍さや、日にちがかなり開いてしまった為、私はなんとなく不安になり、モヤモヤした気持ちで面談に向かいました。
会社に到着し、いつも通り緊張した面持ちで「本日面談予定の〇〇です!」と挨拶をして社長が登場し、前回同様に営業の方と2人を相手に面談が始まりました。
早速条件が書かれた書類登場!
一番気になる給料をドキドキしながら確認する私…
すると試用期間が普通より長いという条件はあったものの、何と!求人内容にあった上限額である最高額の給料の提示がそこにはありました。
働く社内の環境も見せて頂き、良い雰囲気を感じた私はすぐに契約の判子を押したい気持ちになりましたが、妻との約束もあり、「一度家族に条件を伝えた上で考えさせて頂き、直ぐに返事致します。」と深々と挨拶をして会社を出るのでした。
そして帰宅してもちろん妻からゴーサインをもらい、次の日「是非とも働かせて下さい」と社長に電話をし、契約をする事になりました。
感謝です(涙)
40歳で転職をし、パワハラを受けてうつになり、苦しかったこの半年。振り返ると人生転落した様に感じた時もありましたがこの内定を頂けたのは、このブログを始めて前向きでいれたからだと思います。
そして精神的に辛い思いをさせてしまったのにも関わらず、私を逆に支えてくれた妻には何よりも感謝の気持ちを伝えたいです。本当にありがとう。
40歳。これからが勝負ですが、何があっても家族を護る為に気持ち新たに頑張ります!
まだまだ40歳!!
実は私は失業してからもう一つ、前向きになる為に別のブログを書いています。
題して「40歳から始めるエクササイズ実践報告書」
宜しければこちらも読んで下さい〜。↓↓↓
いざ面接へ!そして次の展開へ!
応募企業から書類通過の連絡があり、妻に面接官になってもらい、妻から厳しいご指導を頂き、しっかりと面接の準備が出来た私はいざ面接へと向かうのでした。
面接は営業の方と社長の2人を相手に行われ、いつも通りにバクバクに緊張してしまう40歳の私。
「それでは自己紹介をお願いします。」とスタート。
きたー!っと準備していた自己紹介の暗記文を棒読みで話す私。
退職理由、志望動機も狙い通りに質問をされ、準備万端の暗記文を棒読みして話す私。
緊張を隠せない40歳のオッサンである私。
緊張してご馳走になったコーヒーのお礼も忘れてしまった40歳のオッサンである私…
一つだけ良かった事は技術だけは負けません!と緊張しながらも必死でアピールできたかとは思います。
しかし全体的に質問には棒読みで答えた感じとなり、企業の理念や社長の経営方針をもう少し聞くべきだったと後悔の残る面接となりました。
う〜ん社長の反応も今ひとつな感じがあり、微妙だなこれは…と肩を落として帰宅するのでした。
返事は1週間以内にしますとの事だったので妻に面接の報告をして、妻と一緒に1日1日電話をドキドキしながら待つ事4日目!
息子を習い事に送る車中で知らない番号からの着信が!
キターっと電話に出ると、先日はありがとうございましたと社長の電話。
電話があった時点で採用と思っていたので、私は「お電話ありがとうございます!」と面接の緊張の棒読みではなく爽やかに電話に出たのでした。
しかぁし!ある条件を提示され、良ければ採用とさせて頂きたいとの事。
その条件は私にとってはあまり良い条件とは言えず、具体的に給料や、その他雇用条件を電話で聞くのは失礼と思った私は「次もう一度面談させて頂き、具体的な話を聞かせて下さい。面談の日時、社長のご都合に合わせますので、ご連絡お待ちしてます。」と次の展開へ。
再びソワソワしながら次の面談日の連絡を待つ事1週間、連絡が来ない…
流石に連絡が遅いと思った私はこちらから社長に電話する事にしました。するとそれでは明後日の午後はいかがですか?と…待っていたんですけど…
引き続き何だかよくわからない会社だなとモヤモヤする日が続くのでした。
その次の展開はまだこれからなので、次回綴ります。
前向きに!前向きに!40歳ここは良い方向へ転換できるチャンスと捉えて前向きに!
まだまだ40歳。頑張ります!!
書類選考の求人に応募。そして面接へ!
早速、私は先日ハローワークで検索して見つけた1社に応募をする事にしました。
そのためには履歴書、職務経歴書をまずは作成しないとなりません。悲しくも今年2回転職しているので、8月にパワハラが理由で退職した直前の会社を追記すれば完成です。なので直ぐに出来ると思いきや、半日ちょっとかかってしまいました。
履歴書、職務経歴書はまさに「前向き」なイメージを企業に感じてもらえる様な文章にしないといけないので、ついつい後ろ向きになってしまう私にとっては非常に労力の必要な作業です。また私は子供の頃から作文が苦手なので書類を作成するのに人より時間がかかってしまいます。
しかし!言い訳をしている場合じゃなく、私は真剣に自分の経歴と向き合い、何とか書類を完成させて次の日の朝、郵便局へ速達で出しました。
そして「速達なので遅くても明日には届きますよ」と郵便局のおばさんに告げられました。
もし書類が通れば遅くても4日後には面接の連絡が来るだろうと私は予測していました。しかし4日経っても連絡は来ませんでした…
まだ1社目でしたが求人内容がとても良かった為、駄目だったかなと落胆しました。
そして諦めた私は土日に転職サイトに登録をするのでした。
と、次の日、知らない携帯番号から電話があったので求人サイトのエージェントの人だろうと電話に出ると、何と!応募した企業から面接をしたいとの連絡の電話だったのです。
私は諦めていた分、嬉しくてガッツポーズをしました。
前向きに!前向きに!
面接までにまだ日にちがあったのでじっくりと面接の準備をして、いざ面接へ・・・・
面接以降の話は次回の記事にしたいと思います。
失業給付の申請で妻の偉大さを改めて確認する私。
うつ状態からも回復したので、子供達の為にも早く次を決めないといけません。早速、失業保険受給の申請手続きと求人閲覧をしに、ハローワークに行く事にしました。
さて、失業保険は自己都合退職の場合と会社倒産などによる会社都合退職の二つの給付パターンがあり、自己都合退職の場合は申請後3ヶ月後からの給付に対して会社都合退職の場合、申請した次の月から給付が始まります。
また会社都合退職は給付期間も長く設定されているので失業者にとっては圧倒的に会社都合の方が安心の保険となります。
私の場合は自己都合退職と思っていましたが、妻が調べてくれた情報によると、病気で退社した場合、会社が自己都合と申請していても受診した医者に、病気で働く事が困難だったと証明してもらえば、会社都合と同じ扱いの「特定受給資格者」になれるという事実を確認しました。
そして私は早速ハローワークで精神科に通った事を話して、特定受給資格者の申請をする事が出来ました。これで気持ちに少し余裕を持って転職活動に挑む事が出来ます。
うつ状態で辛かった時に病院に行く事を促してくれた妻。
失業給付の制度を必死で調べてくれた妻。
本当に妻には頭が下がります。
そしてその日は1時間以上ハローワークで求人検索をしました。焦りは禁物ですが、良い会社があったら見逃すわけにはいきません。私は専門職でずっとやってきて、この先も同じ様な職種に就きたいと考えています。しかも転職回数が多い40歳のおじさん…たぶんこの転職活動はかなり厳しいと予測しています。だからこそアンテナだけは早く張っておこうと。求人を探す行動だけは常にしていこうと考えています。
目ぼしい求人を見つけた私はそのうちの一社に応募をする事にしました。
前向きに、前向きに!!
よーし頑張るぞ〜パワハラを受けた分、良い方向に跳ね返すぞ〜!
応募してから次の展開はまた次回記事にしたいと思います。